脱炭素化技術のテクノロジーアセスメントプロジェクトでは、2021年9月〜12月に、持続可能な未来社会における新たな常識や価値観を構想し、その実現に向けて各分野で活動されるフロントランナー(FR)の方々19人に、個別にインタビューを行いました。
プロジェクト側から、本プロジェクトやテクノロジーアセスメントの趣旨、評価枠組の素案について説明するとともに、各FRの活動領域や専門分野の見地から、脱炭素化技術のELSIを検討・評価する上で考慮すべき観点や事柄について、それぞれ約1時間お話を聞かせていただきました。
インタビューを6回に分けてご紹介します。
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PART1
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―評価枠組案をどのようにご覧になりましたか。
小澤:未来を見据える上で、教育への投資の観点が必要だと思います。既に能力のある人たちが議論をして、社会に最適なものを判断した上で進めることが、制度的には最善策なのかもしれません。ただ、その枠組の中に入る多くのマジョリティーの方が新しいシステムを理解して、動いていくためのサポートが重要だと考えています。
―教育への投資は、エリート教育ではなく、ボトムアップ型の教育ということですね。
小澤:日本で過ごしてきて、そもそもエネルギーや原子力問題などのセンシティブな問題をあまり話したがらない方たちもいて、それは変えなくてもよいけれど、知っておいて欲しいという考えが前提としてあります。どんなに頑張って説明しても伝わらなかったり、自分とは異なった倫理感の中で生きている方と交流させて頂く機会も増えてきました。社会にはそのような人の方が多いのではないかという不安を最近感じています。
―脱炭素化におけるエネルギー技術について、特に原子力発電について、中学生の頃から色々学び、考える機会を持たれてきたと伺いました。気候変動対策を見据えたエネルギー転換を日本ではどのように進めていくべきだとお考えでしょうか。
小澤:まず脱炭素の目標が2050年に決まっていることを前提にお話しさせていただきます。原発を含めた議論をするときに、原発反対派、推進派の方々も、できれば原発を使いたくないという考えは一緒だと思います。私も必要ないのであれば、原子力エネルギーは使わず、今あるエネルギーや再生可能エネルギーを推進していくべきだと思います。ただ、2050年の目標を考えると、時間が足りないと考えており、原子力エネルギーは1つの手段として使ってもよいというスタンスです。
―原子力発電はできれば使いたくないというお考えですか。
小澤:本当に使う必要がないのであれば、使用しなくてもよいと思います。リスクがあり、日本では既にあれだけの事故を経験し、被害にあわれた方が多くいらっしゃいます。また、地理的に日本にはあまり向いていないのは事実だと思います。一方で土地がない分、他のエネルギー形態があまり見合ってないという観点もよく議論されています。課題の提出期限があるときに、何を使ってその課題を提出するのかと考えると、原子力エネルギーはまだ完全に捨てきれないのではないでしょうか。
―大学生活ではどのようなことに関心を持ち、力を入れていらっしゃいますか。
小澤:私は中学、高校と、学校全体の半分が帰国子女のような環境で過ごしましたた。私が年下であっても議論で正しいことを言えば聞いてくれるし、色々な意見がある中で、どちらの側も考慮できる人がリーダーに抜擢されることが当たり前の社会で生きてきました。今は、大学生活を送る中で、日本の社会や組織の特徴について学びたいと思っています。
―「将来」や「未来」について、どれくらいのタイムスパンで考えることが多いですか。
小澤:私は数十年先よりは、5年先ぐらいを基本的にイメージしています。目標をあまりにも先に設定してしまうと、自分の中での主体性が欠けてしまいます。それは政治の分野でも一緒だと思います。私自身が18歳のときには、自分が30年後はどこで何をしているか分かりませんでした。政策や目標も長期的に設定されると、そのはじめの一歩が遅れてしまいます。そのため、理想としては1年後の目標を毎年更新して行きたいと考えています。また、目標を設定するだけではなく、そこに確実な階段を作っていくこと。その階段の一つ一つが未来であるからこそ、明確に言語化して、みんなで同じ認識を持って動くことが大切ではないかと思います。
―長期的な視点から日本社会全体として変わっていくべき点、逆に変わらずに残していくべき点について、ご自身の考えをお聞かせください。
小澤:完璧を求めすぎる日本のシステムやそれに対する人の感じ方は、持続可能性の観点からは、少し和らげる必要があると思っています。幼少期にアメリカに住んでいた頃、よく停電があったのですが、そんな時には、近所の人たちとバーベキューをしていました。そのときは政府の批判をするのではなく、そのミスや隙間を楽しんでいたし、それが当たり前の社会だったからこそ、何事でもミスがあった瞬間に、集中攻撃や集中批判をすることが無かった点が、日本とは全然違うところだと思っています。今後、持続可能な社会を目指す上で、今までにない変化や経験、挑戦をすれば、多少のミスは社会の中でも起き得るし、それは想定していく必要があると思います。そのためにも、まずは完璧を求めすぎる倫理観を和らげることが重要でないかと思っています。
―大きな目標に向けて来年の目標を定めるという話がありました。その目標に向かって、実際にできること、あるいは取り組まれていることはありますか。
小澤:私一人ができることは小さいと思いますが、まずは気候変動に関する話を日本で共有することが重要だと思い、いろいろな所で話をしています。来年までにやることとしては、先程お話ししたような、柔軟な社会づくりを今の社会の現役の方々と作っていくことが重要だと思っています。
―気候変動に関わる活動をされている方で個人的に気になる方はいますか。
小澤:私は高校時代から企業の一員としても活動してきたため、エネルギー問題等について活動している若者団体の方とは、少し違う視点を持っていると感じることがありました。企業の視点から見れば、理想に傾き過ぎているように思える部分もありますが、学生のデモや啓発活動には、これからの社会の将来像を考える上でのヒントがあり、耳を傾けておくことが大切だと思います。
(2021年9月2日、オンラインでインタビュー)
おざわ きょうこ
元ユーグレナ初代CFO(最高未来責任者)
2002年生まれ。幼少期までアメリカで過ごす。東京学芸大学付属国際中等教育学校在学中の19年10月に株式会社ユーグレナの初代CFO(最高未来責任者)に就任。21年4月に早稲田大学社会科学部入学。21年11月からは百貨店の丸井グループのアドバイザーを務める。*所属・役職は当時
―評価枠組案をどのようにご覧になりましたか。
上田:脱炭素化技術をめぐっては、例えば太陽光パネルが里山の風景を壊すといった文化的な影響も指摘されています。かつては少数の電力会社が管理して電力供給を行っていましたが、多くの企業が参入するようになると、その土地の権利問題へと発展する可能性があります。土地が共通の財産として地域で共有され、文化を支えるものになっている場合、民間によるエネルギー開発は、土地の権利と抵触する可能性があります。それは文化の問題でもあり、政治の問題でもあります。
教育の観点も重要だと思います。エネルギー環境教育のポイントは、エネルギーを選択する目を養うことであり、再生可能エネルギーや原子力のメリット・デメリットをしっかりと学んだ上で、合理的な選択や、ディスカッションができるようになることが大切です。特に再エネは、地域の資源を活用するケースが多いので、発電方法に対する評価も地域ごとに変わってくると思います。最終的にそうした選択や評価ができる市民の力、エネルギーリテラシーを向上させることが必要です。
ドイツには、自治体が主体となって民間と協力して地域で公共サービスの事業を行い、利益を地域に還元するシュタットベルケというしくみがありますが、そのようなローカルエコノミービジネスが今後増えていく可能性があります。私の知っている事例では、そこに教育が絡んでいて、学びのプロセスを経て実際に大学生が起業した地域(例えば沖縄県与那原町)もあります。
―確かに、技術を評価する上で、教育や人づくりの観点は重要ですね。
上田:例えば企業のブランド評価で言えば、以前は、商品のアウトプットが評価されていましたが、現在は製造のプロセスにおける透明性や健全性、自然環境、労働環境に対する配慮の視点を見える化し、全体でブランド価値を評価する「プロセスエコノミー」の時代になりつつあります。その意味では、エネルギー関係の事業者を、総合的な観点から市民が評価する視点があればよいと思います。
気候変動の場合、適応の話も同時に考えなければいけません。その際、エネルギー産業だけでなく、流域における遊水池などの土地利用の仕方や、保水機能がある山林の保全など、レジリエントな流域政策を考える必要があります。放置しておくと、気候変動の影響が大きくなり、この間(2021年7月)の熱海の土石流のような災害につながる可能性があります。
―社会的課題に対し、熱心な人とそうでない人の間には溝があると思います。ご自身の活動の中では、それをどのように乗り越えていらっしゃいますか。
上田:時間が重要な要素だと思います。今の学生や若い世代の社会的課題の関心は2000年代半ばとは比べものにならないほど高くなっています。気候変動がどんどん身近になってきていること、ESG投資や、SDGs、パリ協定のニュースがあり、気候変動について考えることが非常に意味のあることだと考える人が増えています。中学生などの間では「気候変動について考えている子はカッコイイ、リーダーシップがある」と言われるようになりました。環境や社会に対してしっかりとした見識を持っている人こそがリーダーになれる。そのような時代がほどなくやってくるという期待はすごくあります。
―そのような流れは広がっていると言ってよいのでしょうか。
上田:確実に広がっていますが、それとは逆のSDGsや温暖化に対して陰謀説を唱える立場の人もまた増えているように思います。その意味では、コミュニケーションやメディアの役割、政治家のコミュニケーション能力が大事になってくると思います。SNSが色々な問題の原因になっていると思うのですが、なかなか改善されません。
―社会課題に対する関心について、ご自身では2011年の東日本大震災が大きな契機になったと伺いました。
上田:私のパーソナルヒストリーで言えば、実は1995年の阪神淡路大震災が大きなきっかけになっています。そこには自分の故郷が兵庫県西宮市で、本当に自分の近しい人たちが被害を受けたという背景があります。そのときに、初めて価値の転換が起きるわけです。これまでは経済中心の社会だったので、お金を価値の中心に置いていた人たちが多かったと思います。しかし、人々が人生の中で最も大事にする価値はもっと多様であるはずです。この評価枠組の表にもwell-beingやQOLが評価基準として挙がっていますが、お金だけがQOLの指標ではないことは、今や当たり前のことだと思います。
東日本大震災時、東京にいた私たちと東北の人たちとの情報交換は、そのほとんどがTwitterでのやりとりでした。その後、社会的な課題をもった人たちがソーシャルネットワークを通じてつながっていきました。「情報ボランティア」という言葉が使われるようになったのも東日本大震災が契機でしたが、テクノロジーに関わる人たちも、色々な形で社会貢献に参加することができるようになりました。「自分にもこんな役割があるんだ」、「社会的な行動をしたらものすごく感謝された」といった体験を積んだ人が増えました。企業、民間、自治体の人たち、あるいは学生であろうと、一市民として活動した経験値が増えたのではないでしょうか。ただ、それは必ず減衰していくもので、一瞬全ての人がいい人になるような楽園状態がありましたが、少しずつ格差が生まれて、分断が生まれる状況もあります。
―「将来」や「未来」について、どれくらいのタイムスパンで考えることが多いですか。
上田:私自身は、未来予測はすごく難しいと思っています。アラン・ケイの「未来を予測する一番いい方法は、未来を創り出すこと」という言葉が大好きで、予測するよりも今この瞬間をどう作りだせるかというところに目がいきます。今そこにいる学生や子ども、今日生まれた赤ちゃんこそが未来である。そういう未来像を持っています。だから、今ここに生きている子どもたちに対して、大人として一体何ができるのかを考えるようにしています。
―コロナ禍において、子どもたちの格差が顕在化しています。未来を創っていく人たちがどのような状況に置かれて、何を知り、育っていくかで、未来は大きく変わると思います。
上田:一人一人の子どもが育つ環境は、家庭環境も違えば、地域も違い、本当に多様です。全て画一的になることはないし、むしろ画一的になることは怖いことだと思っています。だからこそ、総体としての国の方針はすごく重要です。今回、文部科学省の学習指導要領に持続可能な社会のつくり手を学校が輩出しなければいけないという前文が入りました。それに対して、学校の先生たちはものすごく影響を受けています。大きな方針が動き始めるとニーズが生まれて、そこに対して何らかのサービスを作る動きが起きてきます。私たちも、子どもたちや先生たちとコミュニケーションしながら、誰も取り残さないという気持ちを大切に、未来をつくる教育をサポートしていきたいと思っています。
(2021年9月2日、オンラインでインタビュー)
うえだ そういち
一般社団法人シンク・ジ・アース理事、株式会社スペースポート取締役社長
1965年生まれ。兵庫県出身。2001年にThink the Earth設立。地球時計wn-1、書籍『百年の愚行』『1秒の世界』、大型映像「いきものがたり」など環境・社会をテーマに30以上のクリエイティブプロジェクトを手がける。2017年に「SDGs for School」をスタート。2018年に出版した『未来を変える目標 SDGsアイデアブック』は10万部を超えるベストセラーに。多摩美術大学客員教授。*所属・役職は当時
―様々な分野の方からのご意見を伺いながら、脱炭素化技術の社会的な影響を評価する枠組の検討を進めています。小林さんには、ライブ・エンタテインメント業界の視点から、ヒントを頂ければと思っています。
今回のコロナ禍では、アートやエンタテインメントが大きな影響を受けました。この状況をどのように受け止めていらっしゃいますか。
小林:アートやライブ、エンタテインメント、スポーツを含めた世界は、今回不要不急の代名詞になりました。特に音楽やスポーツは8~9割減と壊滅的な打撃を受けました。
その中で、圧倒的な行動変容が起きました。あるアイドルのファンクラブイベントでは、「5000人・50%以下」を守り開催し、観客も検温や消毒を遵守しただけでなく、多くの方がイベント当日までの2週間、外出を控えました。このイベントに限らず、あらゆるイベントで多くの観客がマナーを守り、真摯に感染対策に協力しています。文化やアート、エンタテインメント、スポーツには、政策や教育を超えて、人々の行動変容を起こしうる可能性があります。むしろ、ビジネス的には非常に目まぐるしく変化するジャンルですので、5~10年後を見据えています。
広々とした場所でのイベント開催は、感染対策上は安全です。むしろ、このコロナ禍の中で頑張って行こう、という共感を生むためには、本来こうしたイベントは開催されてしかるべきで、むしろ免疫力を高めるためにもよいという話までされ始めています。
いくら素晴らしい理論があっても、それだけは不十分で、そこから行動変容を促していくための具体的な実践が必要です。不要不急と言われたものほど、実は人の心を動かしうるものではないかと実感しています。それが、今後エンタテインメントが戻ってくると思っている根拠です。ライブ・エンタテインメント市場は東日本大震災の後もやはり一回沈みましたが、その後急激に伸びました。今までの角度とは全く違う角度で伸びたので、(もちろんウィズコロナが続くと思いますが)おそらく世の中の目がかなりエンタテインメントに向くのではないかという期待を、投資家も含めて持っている実感があります。
ライブやエンタテインメント、アート、文化、スポーツは、ある意味カーボンニュートラルに非常に近く、物を燃やさずにすむビジネスです。在庫も持たなくてよいし、人が頑張れば良い物が出来ていきます。そのためには、次の担い手となる卵を見つけて発掘し、育てていかなければいけません。今のオリンピック選手も幼稚園や小学生から始めて、金メダルを取っています。政策としては20~30年後を見据えないと、それでオリンピックの日本のメダル数が決まるような世界です。そのため、サステナブルな将来像を考えたときに、いずれ20~30年後にはこのエンタテインメントにおける感動が、電気、ガス、水道等とは違うライフラインになっていくのではないでしょうか。
―「将来」や「未来」について考えるとき、どれくらいのタイムスパンをイメージされることが多いですか。
小林:2つのイメージがあります。1つは伝統文化、伝統芸能のように何百年の伝統があるもので、落語も歌舞伎も人から人へ伝承されるものです。歌舞伎も役者が舞台に立っていなければできないし、落語家の弟子は、師匠の話を聞かないと自らの噺をつくれません。伝統や文化を残そうと思うと、何年後ではなくて、残すことに今必死になります。だから歌舞伎も無観客で続けていました。
もう1つは次のアーティストやスポーツ選手の育成についてです。今は若返りが進んでオリンピックも12歳や13歳が金メダルを取っていますが、10代、20代の人たちが華々しく活躍すると、やはり日本中が燃え上がります。例えば映画監督であれば、今の小学生が大体25、6歳になって映画を撮り始めると考えると、我々は20~30年ぐらい先を見据えて今取り組まなければならない。ただ全体的にスパンは短くなっている気がします。ビジネス的には10~20年後を目指す方向で考えているかもしれません。
―アイドルのファンクラブイベントを例にお話しいただいた、その場や体験の共有が、たとえ感染対策のような経験であっても、人々を結びつける力を持ちうるというお話が、非常に説得力がありました。そのような視点から、今回のオリンピック・パラリンピックをどのようにご覧になりましたか。
小林:10年前の震災後、なでしこジャパンの世界一、カズの親善試合でのゴールで日本中が盛り上がり、エンタテインメントやスポーツの与える力を実感しました。過去のオリンピックでもそれを感じていました。やはり若い人たちの金メダルは、日本人にとって、この閉塞的な世界の中では元気を与えることになるし、ものすごく免疫力を高めたのではないでしょうか。オリンピックが始まる前は中止した方がよいという意見が7割でしたが、開催後は逆に7割がやってよかったという意見に変わりました。これは行動変容の最たるものです。また、パラリンピックを経て、おそらく日本人の障害者に対する感覚も大きく変わったと思います。
―人を元気にするもの、心の栄養になるものというのは、感覚的には分かるのですが、それはいったい何なのでしょうか。
小林:私の実感では、それは誰かと喜びを共にする「共感」だと思います。今回は皆ステイホームでしたが、体操の橋本(大輝)選手が着地して金メダルを獲得した瞬間、何千万人の視聴者が共感して、感動を共有しました。その意味では、一人ではなく誰かとつながっていることを実感できるのは、お金を介したものではなく、心の中でのつながりの部分だと思います。そこには何か力があるはずであり、ぜひとも誰かに研究してもらいたいです。
―オリンピックでの共感・感動については、例えばベルリンオリンピックの記録映画のように、政治的に利用しようとする人もいました。最近のトレンドはどのようになっているのでしょうか。
小林:世界的にみると、スポーツやエンタテインメントが政治に利用される機会は以前からありました。それが力を持っていることを権力者は知っています。そのため、明確な価値基準がないアートや文化、エンタテインメント、スポーツをうまく利用できないかと考える為政者たちはたくさんいたと思います。一方で特に日本はそうですが、やはり文化や芸術は政治におもねるものではないという傾向があります。その距離感、バランスの持ち方が非常に悩ましいと思っています。
―例えばアメリカのアーティストは、自らの政治的なメッセージを熱心に発信しています。日本だとそのような人が基本的にはいません。どうしてでしょうか。
小林:アメリカのアーティストは基本的に個人としての成功者です。圧倒的なトップスターは、日本のトップスターの比ではありません。スティーブジョブズなどの起業家と同じレベルで、とてつもない富と名声を得ます。また、世の中を動かすほどの立場にいる人には、必ず色々なオピニオンがあるはずだと考える文化もあります。その意味では、彼らは自由に語ります。日本のアーティストの場合、ほとんどが組織の中に所属していて、企業の社員に近い立場だと思います。
(2021年9月7日、オンラインでインタビュー)
こばやし さとる
ぴあ株式会社 取締役 社長室長 兼 広報・IR担当
1966年生まれ。89年4月にぴあ株式会社入社、17年より現職。同社では音楽・スポーツ・演劇・映画・各種イベントのチケット販売を柱に、ライブ・エンタテインメント領域において幅広く事業を展開。オリンピック・パラリンピックやラグビーW杯、サッカーW杯など、国際的規模の大型イベントのチケッティング受託の業務も拡大。*所属・役職は当時
⇒脱炭素化技術のテクノロジーアセスメント フロントランナーへのインタビュー PART2