脱炭素化技術のテクノロジーアセスメントプロジェクトでは、2021年9月〜12月に、持続可能な未来社会における新たな常識や価値観を構想し、その実現に向けて各分野で活動されるフロントランナー(FR)の方々19人に、個別にインタビューを行いました。
プロジェクト側から、本プロジェクトやテクノロジーアセスメントの趣旨、評価枠組の素案について説明するとともに、各FRの活動領域や専門分野の見地から、脱炭素化技術のELSIを検討・評価する上で考慮すべき観点や事柄について、それぞれ約1時間お話を聞かせていただきました。
インタビューを6回に分けてご紹介します。
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PART5
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―評価枠組案をどのようにご覧になりましたか。
白木:そもそも論として、エネルギーの消費はこれまでと同じレベルで続けていいのかという根本的な疑問があります。便利なものが増えるとエネルギー消費も増える感覚があり、それはいつまで続くのだろうかと思いながら私自身は暮らしています。
具体的な関心があるのはコストと受益の分配です。公平性は最低限のQOLとも関わってきます。最低限の人間的な生活をしていくために、最低限のエネルギー消費は誰にでも等しくあるべきではないでしょうか。また、そのコスト負担も最低限は公共的に保障されるべきだと思います。
太陽光パネルの設置は、自然災害に影響すると言われています。地域コミュニティへの影響に関しては、景観が崩されると、人々の心に及ぼす影響やその土地が持っている意味も気づかないうちに崩れ、その地域の人間関係の希薄化にもつながっているのではないでしょうか。それは民主主義にも関係しており、人々が持っている意見の違いによってコミュニティ自体が分断されてしまうこともあると思います。そのような場面では、意思決定の力の強い人が経済的にも力を持ち、そのプロセスへの参加が困難な人たちの声は届かず、両者の分断が進み、格差が拡大する可能性があります。
―最低限の人間的な生活に必要な消費量に関して、ご自身の活動の経験から考えられることはありますか。
白木:私たちが活動している西アフリカのガーナの村では、電気が通っていない生活をしている人がたくさんいます。子どもたち目線で言えば、夜暗くなると勉強ができません。電気に限らず、食事を作るにしても女性は1日中ご飯を作るような生活をしています。一方で、電気はないけれど携帯電話は普及していて、発電機がある家でみんなが充電するような事態が起きています。一方に文明化が進んだ世界がある中で、もう少し両者のバランスが取れないかと思っています。
また、交通ネットワークの未発達の問題もあります。都会に出ることは情報へのアクセスでもあり、マーケットへのアクセスでもあります。この根底にはエネルギーの格差があると思います。
―都市への移動はそれに伴うスラム化によって、余計に格差が広がってしまうという話をよく聞きます。
白木:ガーナではここ5~6年の首都の発展は目覚ましく、限られた都市部への投資とその発展がすごく目立っています。それに対して私たちが活動している地域は、何年たっても電気も水道も来ないような状況です。都市部に出稼ぎに行ってもまともな仕事がなく、村に戻って定職に就かない若者もいます。その意味では農村地域でもある程度産業が開発されて、定住できる循環をつくることが重要だと思います。
―このままのエネルギー消費を続けてよいのかという点について、どう考えていますか。
白木:途上国に対して、そこまで技術発展をさせなくても、もっと簡単な技術で助けられることはあるし、文明化ともともとの暮らしのバランスが取れた状態を作れるはずだと思います。より便利に、より多く消費することには際限がないですが、本当はそこまで必要ないと分かれば、もう少し均衡の取れたレベルを保つことができるのではないでしょうか。それがグローバルな不均衡のバランスを改善する力にもなると思います。
―技術の導入に関して、ガーナの政府や国はどのような役割を果たしていますか。
白木:交通アクセスが発達していて、新たな技術の使用を見込めるような、事前に効果が出ると予想される地域を選んで導入を進めているように思います。
―途上国の電化に関して、先進国のプッシュ型で広めていくのが望ましいのか、あるいは、それは支援依存につながり、途上国自身にとってよくない面があるのか。どうお考えでしょうか。
白木:ガーナや途上国でも、若くてある程度教育を受けた人たちの中には自ら起業する動きがあります。その意味では技術を有する人が、現地の人と一緒になって開発することが望ましいのではないでしょうか。
―「将来」や「未来」について、どれくらいのタイムスパンで考えることが多いですか。
白木:あまり具体的なタイムスパンをイメージしないのですが、遠い未来のビジョンは漠然と自分の中にあります。例えば自分がおばあちゃんになったら、自分の子どもが20歳を過ぎたらというイメージを持っていて、それはおおよそ20~30年先の感覚です。私たちのNGOレベルで言えば、世界的に打ち立てられたSDGsがあり、その中には2025年に児童労働を終わらせるという目標があるので、私たちの活動の中では2025年が一つの目安としてあります。
―20〜30年先の未来については、どのようなビジョンを描いていますか。
白木:もっと自然と人間が調和した暮らしが必要だと思います。高度経済成長を経て都市化を進めてきたプロセスは、自然と人間の生活が切り離されるプロセスでもあったと思います。ガーナの村では電気がないので、太陽が上るのとともに目覚めて、日が沈んだら仕事をやめます。そうするとすごく体が楽になるということに気づきました。自然のサイクルと一緒に人間も動いたほうが、無理がなく健康で、幸せを感じるのではないでしょうか。
―この評価枠組は、脱炭素化の技術が世界の広範囲に影響を及ぼすというイメージのもと、なるべく広い物差しで考えられる道具にしたいと考えています。遠くの人に想いを馳せることについて、白木さんがご自身の活動で大事にしていることはありますか。
白木:私たちは企業とも連携しながら、チョコレートやTシャツなど、人々が普段から意識しなくても接点があるものを入り口にして世界の状況を伝えています。また、チョコレートの場合は特にバレンタインデーなどの社会的なイベントが毎年来ますので、思い出してもらえるタイミングとして生かすことができます。一方で、最近は問題を根本的に解決するためにはどこに働きかけるべきかを考えていて、ガーナ政府と一緒に仕事をする機会も増えています。一般の消費者や生活者に働きかけるだけでは、効果が出るにはものすごく時間がかかってしまう。その意味では企業セクターの影響力の大きさを感じています。
(2021年10月6日、オンラインでインタビュー)
しろき ともこ
特定非営利活動法人ACE 副代表・共同創業者
1974年宮城県仙台市生まれ。大学在学中に学生5人でACEを創業。開発援助コンサルティング会社での勤務を経て、05年4月から21年11月までACE事務局長を務める。ガーナ・カカオ生産地での事業立案、消費者教育やエシカル消費の普及、企業との連携、企業向け研修・コンサルティング、ガーナ政府との制度構築等に従事。労働・人権分野の国際規格「SA8000」社会監査人コース修了。*所属・役職は当時
―評価枠組案をどのようにご覧になりましたか。
石川:私の専門は食品学や調理学ですが、「フードテック」と呼ばれる最新の新しい技術で食を生み出すときの科学的な背景に興味があります。その中で私はテクノロジーの推進派と慎重派の中ほどにいる存在だと思っています。
食の新しい生産方法として、昆虫食や培養肉、食の3Dプリンタのようなものを用いると、エネルギー的には従来の製造方法より効率的で、脱炭素化にもつながります。ただ、これらが普及する上では、様々な課題があります。例えば、新しい食に対する社会的な不安や不信には、それぞれ異なる要因があるように感じています。技術のELSIに関する評価枠組があると、このような問題を紐解いていく際に参考になると感じました。
もともと雑食動物で何でも食べる人間だからこそ、新しい物への興味や、食べたい気持ちが当然あるのですが、新しい物には食中毒や安全面のリスクが潜んでいるので、人が拒絶感を持つことは前提としてあるように思います。
新しい食に関して、例えば昆虫食は、タンパク源としては非常に有効で、家畜の代わりになると言われており、さまざまな加工食品も出てきています。その反面、国ごとによって、考え方の違いもあり、「自分たちは食べないけれど、途上国の人たちが食べればいい」と言われることもあり、「何て身勝手なんだ」と思ったことがあります。虫を嫌う背景については殺虫剤メーカーの広告が影響しているとも言われますが、そのような虫嫌いの文脈が、昆虫食の普及の難しさと関係していると考えられます。また、昆虫も動物なので、例えばコオロギを生産する企業がどれだけ動物福祉的な視点を持ち合わせているのか、といった側面は見過ごされがちな問題です。
試験管で育てる培養肉に関して、2013年頃は夢物語だったものが、数々のスタートアップも登場し、2020年にシンガポールで培養肉が販売されました。日本でも2020年代半ばにはスーパーの店頭に並ぶと言われています。通常の家畜の生産方法だと環境負荷が大きく、その代わりとして植物性の肉、もしくは培養肉にするのか。おそらく三者が共存する未来になるのではないかと言われています。ただ、そのためには、実際に培養するための装置を作る必要がありますので、電気自動車も結局はバッテリーを作る際にCO2を排出してしまうのと同じロジックがあります。また、培養肉を食べることに対して、抵抗感を持つ方も当然多くいます。その際に、培養肉は環境に良くて動物愛護の観点からも望ましいといった情報を提供すれば意見が変わるというデータもあります。この点は教育の視点が重要になってきます。
新しい食の生産方法としては、3Dフードプリンタがあります。積層型で食材を積み重ねていくため、食感を作ることができ、誰でもおいしい物が作れます。また、効率的で、個人に合った食を作ることができるので、究極の個別食ができるという見方もあります。ただ、実際にそれが普及したときに、例えば自動運転車の事故のように、責任の所在が曖昧になる可能性があり、そこにはまさにELSIの問題があると感じています。
―脱炭素社会に向けた動きの中では、様々な業界が「環境によい」ことをセールスポイントとすることで、実際の脱炭素化が進んでいく側面があります。食に関してはどう考えていますか。
石川:日本では植物性の肉や大豆で作ったものが、そのような売り方をされていますが、消費者にはあまり響いてないように思います。一方でアメリカのカリフォルニアのZ世代では、むしろ環境によいとされる植物性ミートのほうが格好良くて、従来の家畜の肉を食べる旧世代の人たちはダサいという感覚になっています。
―ご著書『「食べること」の進化史』の中で、合成生物学が進んでいき、人間が人を自由に設計できるようになった場合に、食べることはどうなるのかという問いを投げかけられていましたが、脱炭素においても類似の問題を考えることができます。そのときに重要なのが時間の問題で、CO2の排出や肉食も時間と共にその倫理観が変化していく可能性があると思います。その際に、どのようなタイムスパンでその変化を捉えるべきでしょうか。
石川:ゼロベースで人間のあるべき姿を合成生物学の観点で考えてたことがあります。脱炭素社会に関しても、既存の価値観に影響を受けるとは思いますが、それを取り払ったとき、どのような姿が望ましいのかという思考実験が可能になります。食に対する価値観についても、昔は「おいしい・安い」で良かったのが、最近は「より環境にいい」「高級感」「自然らしさ」といった価値観が入り込んでいます。各個人が食に何を求めるかによって、今後は価値観が変動、多様化していくように思います。
―食は価値観が多様で個別性が高いということですが、その上で、脱炭素のために、食に対して何らかの規制をかけることについてはどう思いますか。
石川:培養肉に関しては、昔からの家畜の牛肉が大好きな方は、すごく反発するでしょう。また、培ってきた伝統文化や畜産業もあるので、それをすぐに手放すことは難しいと思います。食には個人の思想や経験が紐づいているので、非常に難しい分野だと思っています。
―ご著書の中では、地域の中で食のサイクルを循環させる話が出てきました。それは、環境負荷をかけないという方向と重なって、一つの大きな流れになりつつあると思います。一方でどこかに拠点となる工場をつくり、食物を栽培するような流れもあると思います。
石川:確かにそのような二極化が進んでいる側面はあります。地産地消はエネルギー的にも食文化的にも当然大切という価値観はありますが、現実的にはその土地で食卓のもの全てを賄えるわけではありません。
―日本の食に関する価値観や常識は、これまでに随分転換してきたと思いますが、今後はどうなるのでしょうか。
石川:昔は少ない製品を大量生産したものしか手に入りませんでしたが、多品種で、生産方法も様々なパターンが出てくると、価値観もどんどん広がっていくように思います。枝分かれが進み、個人が食べたいものを食べられるようになったとき、その人の価値観がより反映されたものを食べたいと思うようになるのではないでしょうか。食卓でみんなが同じものを食べているようで、実は全然別なものを、別な価値観で食べている気がします。今後はますます混沌としていき、多様化が進んでいくのではないでしょうか。
―ご著書には「共食」という言葉が出てきます。「食を誰かと一緒に分け合って食べることは人間ならではの行為だ」という一節がありました。今のコロナ禍では共食ができないことに対して、社会全体がストレスを感じているように見えます。
石川:人類の歴史を振り返ると、食べ物を持ち帰り、一緒に食べることは家族の原型、社会の原型だと思うので、そこが崩されると、人は精神的にやられてしまう部分があると思います。リアルな空間で食卓を囲む、もしくは一緒に食べるという食の役割がコロナ禍によって改めて見直されているのではないでしょうか。
(2021年10月8日、オンラインでインタビュー)
いしかわ しんいち
宮城大学 食産業学群 教授
1973年生まれ。東北大学大学院農学研究科修了。博士(農学)。専門は分子調理学。関心は食の未来学。「食」をサイエンス、アート、デザイン、エンジニアリングとクロスさせる試みを行っている。著書に『「食べること」の進化史』(光文社)、『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)など。*所属・役職は当時
―評価枠組をどのようにご覧になりましたか。
秋吉:「文化・伝統・自然などの内在的価値」に関して、人間と森林がともに作り上げてきた風景の問題があると思います。それは、水や風の流れも含めた総合的な生態系の話です。最近は、どの地方へ行っても、空いた土地にソーラーパネルを設置する動きがあります。確かに脱炭素が進み経済的価値は上がるかもしれませんが、人間を含めた生態系としての風景が失われるという内在的価値の評価が欠如しています。
公平性・権利に関しては、アクセシビリティの問題もあります。例えばメガソーラーや大規模風力発電などが今後、代表的な脱炭素化技術として用いられていくとして、それは誰もが自ら管理し利用できるのか、あるいは大資本でなければアクセスが困難になるのか。後者の場合、大資本の中でテクノロジーの意思決定がなされてしまいます。技術を持っているのは企業の場合が多く、小さな「政治」として、企業の責任が重要になります。その際、利用者側がどこまで関与できるのかについては、広い意味での「政治」の話です。国や自治体だけではなく、本当の意味での民主主義が重要になると思います。
―秋吉さんたちが掲げている「建築の民主化」というテーマと深く関わる問題ですね。
秋吉:意思決定の内容がある程度透明化されて、頑張れば自分で主体的に関わることができる状況にしていくことが重要です。脱炭素や気候変動に関して、現状ではレジ袋を使わないぐらいしか消費者目線の具体的なアクションがありません。技術をどう評価して、どの技術を使用するのかも、一つの政治的選択であり実践です。その選択の際に、自分たちが使いやすく、一緒に取り組んでいる感覚を持てる技術が重要になります。その意味で、私はデジタルな生産技術の中では、最も安価で使いやすいものを選んでいます。単純に木材を加工するだけではなく、どのようにして人に届けて、どこから材料を調達するのか、その関係性を可視化することが重要です。地場の工務店や木工職人、林業体などが近代化や経済合理性に従った先に消滅したカルチャーがあります。そこにもう一度再接続していくために、民主的な技術を使うことを考えています。
―秋吉さんたちが掲げている「自立・分散・協調」のうち、分散は技術の民主化にどのように関わってくるのでしょうか。
秋吉:国は2050年に向けた脱炭素の目標を掲げていますが、市町村レベルで取り組む状況には至っていません。その目標が身近な単位まで下りてくると、必然的に技術は分散化されていきます。一人ひとりが何らかの行動変容をしていくためには、自分たちがすぐに使える技術が身近にあることが重要です。私たちの活動する地域では、必要なときに必要な加工をして、運営も自主的に取り組む状況に戻していくことを考えています。また、技術が分散化するとレジリエンスが高くなるので、どこかの製造キャパシティがオーバーしたり、災害が起こったりしても、他の地域に頼ることができます。みんなで同じデータプラットフォームを持つことによって連携もでき、人のスキルに依存しない枠組ができます。そのデータさえ所有していれば、ある程度のクオリティーまではみんなが作ることができ、その意味でも民主的だと思っています。
―デジタルを利用した技術の民主化や分散化は、日本国内において、どれくらいの支持を得ようとしているのでしょうか。
秋吉:技術自体は技術でしかないので、世の中を少しずつ変えていくためには、カルチャーをつくるしかないと思っています。その意味では、私自身はずっと価値創出に取り組んできたと思っています。ライフスタイルをつくってそれを発信すると、その枠組に乗ってくれる人が周りに増えてきます。一方で、それをメインストリームにしたいとは考えていません。共感している人の輪を、自らの手の届く範囲で増やせればと思っています。
―既存の大企業などが、秋吉さんのような考え方を取り入れる可能性はあるのでしょうか。
秋吉:この技術を取り入れても生産性が上がるわけではありません。技術の自動化を推し進めることにもなり、無駄な職業がいらなくなるので、OSチェンジすることによる弊害は、既存の大企業にとって大きいと思います。私たちは家も売らない、稼がないという方向に最終的にはシフトしようと考えて、現在事業に取り組んでいます。
―「将来」や「未来」について、どれくらいのタイムスパンで考えることが多いですか。
秋吉:長くて10年、基本は5年ぐらいをイメージします。5年ぐらいで技術は消費されて回っていくという実感があります。既に頭打ちになっている技術を使うほうが楽しいと思っていて、現在は1980年代から進化していない技術をサルベージして使っています。そのような技術は、価格も落ちるところまで落ちていて、それも民主化において重要な要素です。
―秋吉さんが考えるビジョンや価値の方向性はいつ頃までに実現すると思いますか。
秋吉:都市レベルで言えば、2030年位のレベルだと思います。10年でも長いと思いますが、短い単位で目標を設定しないとブレークダウンしていかないと思います。では、そのときに何が変わっていればインパクトが大きいか。それは究極のところ脱炭素でなくてもよい。本質的に何が重要なのかということになります。ライフスタイルが変わっていれば、将来的には脱炭素に到達しているのかもしれません。家が建つまでのエネルギー自体をある程度ゼロに近づけつつ、建てた後は少なくともネットゼロ、できればカーボンネガティブの方向にエネルギー収支を持っていくためどうすればよいのか。そのときに、家に発電機を載せて蓄電池を使用するような技術的な解決もありますが、それよりも周辺環境にある熱源や風、あるいはランドスケープ、半屋外の空間をどれだけ豊かにすれば室内の生活が変わるのかといった観点を考えます。そこから、どのような家やライフスタイルの在り方が可能なのか、まずは半年から1年でプロトタイプを作り、同時にビジョンの発信を行います。タイムスパンとして長期的に登る山は決めつつも、目標やタイムスパンの実感値としては、四半期ごとのイメージで取組んでいます。
―10年後にこういう状態であってほしいという社会像はありますか。
秋吉:脱炭素という意味では、「脱管理」や「自立」です。本当の意味での自治区が生まれていればよいと思います。そもそも社会全体を変えることを目指すのではなく、自分が関わっている人たちの中で少しずつ変えていければと考えています。教育に力を入れながら、エネルギーも含めた自立できるコミュニティの小さな単位を増やすことが、一つの目標です。技術はトリガーでしかないので、そのトリガーを使って何をするのは人間の問題、デザインの問題だと思います。
(2021年10月26日、オンラインでインタビュー)
あきよし こうき
VUILD株式会社代表取締役
1988年大阪府生まれ。2017年にVUILDを創業し、「建築の民主化」を目指す。デジタルファブリケーションやソーシャルデザインなど、モノからコトまで幅広いデザイン領域をカバーする。主な受賞歴にSDレビュー入選(2018・19年)、Under 35 Architects exhibition Gold Medal賞(2019年)、グッドデザイン金賞(2020年)。著書に『メタアーキテクト』(スペルプラーツ)。*所属・役職は当時
⇒脱炭素化技術のテクノロジーアセスメント フロントランナーへのインタビュー PART6